『ある一線』を超えないうちに

齢者の住環境整備に関わっていると、「ある一線」を感じることがたびたびあります。それは「もう習慣を変えられない」という年齢的な一線です。

日常どの居室で過ごすか、日常どんな椅子にどんな姿勢で座るかに始まり、入浴動作、排泄動作など様々な場面でのこれまでの習慣を変えられなくなる。ケアマネジャー、理学療法士、作業療法士、そして私たち建築士のような専門職が、「(理論的に)このように動作を変えると楽になりますよ」と助言しても、長年慣れ親しんだ習慣を変えられないという方が多いのです。

もちろんこれはすべての方に当てはまることではなく、その方の身体状況やキャラクターによって様々です。それでも、住環境を含めて改善した方が安全になることは、やはり「ある一線」を超える前に実施した方がいいと考えます。後期高齢期はその目安だと思います。

対話の心得・第10条【優先順位の見極め】(茨城県O)

転倒したのはどこ?

環境の課題を拾い出す際に、ご本人に住まいの中での転倒経験がある場合には、「転んだ場所はどこですか?」と質問するのは大切なことです。その場所、そして、できれば「いつ?」「何をしようとして?」まで聞き取ることができれば大きなヒントになることがあります。

こんなことがありました。伝統的な日本家屋を増改築されたお家でしたが、まっすぐな動線の廊下で転倒された高齢の方がいらっしゃいました。ご本人、ご家族は気がついていませんでしたが、現地を調べると、その廊下は動線に対して横方向にわずかな傾斜がついていました。数十年前の家屋の増改築の際に外廊下に接続させて増築部分を新設したために、外廊下の雨水勾配が家屋内の動線に残っていたのです。断定はできませんが、若いころは意識せずにバランスをとることができても、高齢になってそれが難しくなり、転倒の原因となった可能性はあります。こうしたことがわかれば、少しでも安全に配慮した対策が立てられます。床を大改造しなくても、たとえば手すり設置だけでも転倒リスクを少なくすることができます。

対話の心得・第4条【暮らしの観察】 / 転倒防止(茨城県O)

どうする?一人暮らし高齢者の「安否確認」

バリアフリー設計と聞くと、必然的に「介護」というキーワードと共に、医療や福祉との連携をイメージされる方が多いようです。特に緊急を要することが多い介護保険を使った住宅改修では、その分野の専門職との連携を図ることが必要不可欠です。

一方で、住まい手の暮らしはより多くの人々との関わりの中でさりげなく支えられていることも忘れないようにしたいと思います。たとえば、一人暮らしの高齢者の方の安否を確認するには、どんな方法があるでしょうか? 参考までにこれまで見聞きしたものを具体的に挙げてみます。

○ 家族の来訪や電話・メール・SNS
○ ヘルパーさんの出入り
○ 毎日の弁当配達
○ 保険や農協の担当者の出入り
○ ご近所さんの日常的な来訪(お菓子や食材のおすそ分け)
○ ご近所さんとの新聞購読のシェア
○ 定期的なデイサービスの送迎
○ 本人の毎日の活動習慣(挨拶、植木に水やり、ウォーキング、犬の散歩、趣味クラブ・ジム・鍼灸など通院や通学、決まったお店での買い物)
○ 町内会やマンション管理組合での役割
○ 友人との交流(街歩きや食事会など)
○ 高齢者見守りサービス(警備駆け付け、ライブカメラ、人感センサー、訪問型)
○ スマホの見守りアプリ など

ほかにもまだいろいろあると思いますが、大切なのは、ご本人が毎日の暮らしの中でどのような方法を望んでいるかという視点です。遠方に住む子どもたちが「24時間心配だから」とセンサーだらけにした家で管理されたら、かえってストレスを感じてしまう親御さんもいらっしゃることでしょう。

住まいの作り手には俯瞰的に様々なネットワークを探ってほしいと思います。案外、離れたご家族とご近所さんが挨拶を交わして連絡先を交換するだけで、自立した生活を支える環境が整うかもしれません。また、視線を遮る塀をなくした庭先での交流が効果的なこともあります。

寂しく不安な「独り暮らし」と、元気で前向きな「一人暮らし」はまったく違う暮らし方です。住まいづくりは、一般的にはこうだからと決めつけることなく、住まい手の個性と取り巻く環境に配慮して、その人らしい暮らしをつくるお手伝いであってほしいと願っています。

対話の心得第8条【多職種等との連携】 / 設計提案ポイント2【人とのつながり】 / 元気に暮らす(埼玉県O)

プライバシーを徹底して守る姿勢は対話の心得の大前提

人情報の保護は、建築士においても、市町村発注の仕事を受託する際に「個人情報保護法」に基づいて個人情報保護の宣誓書に署名したりしているなど、すでに当然のこととして認識されているものと思います。バリアフリー設計の場面では、まさに「どうやって良質な個人情報(真実)を引き出すか」がカギですから、見聞きしたことすべてが個人情報の保護対象といっていいでしょう。

しかし、ケアマネジャーのような介護専門職の間では、建築士よりも個人情報保護意識が徹底していて、メールやFAXで利用者情報を他専門職間でやり取りする際には必ず個人情報を消したり塗り潰してきます。介護専門職との情報のやり取りでいい加減な対応をしていると、建築士は個人情報保護の意識が希薄な職種だとみなされてしまいかねません。

しかし、法令順守上の問題としてだけではなく、より本質的に重要なのは、住まい手の生活上のプライバシーを徹底して守るという姿勢こそが、住まい手の信頼を得ることにつながるということです。そこで得られる信頼感こそが、多様な声を汲み取るための「対話の心得:第1条 対話の機会づくり」や本音を引き出すための「対話の心得:第2条 雰囲気づくり」をはじめとする対話の心得の前提となるものであり基本であると言っても過言ではありません。

対話の心得・第9条【個人情報の保護】(神奈川県W)

「キーパーソン」を見極める

住まいづくりにおいて、住まい手の要望や意向、ニーズなどに応えていくことが当然ですが、住まい手以外に、プランニングを進めるうえで重要な役割を担ったり、設計の決定に大きな影響をもつ人物が存在することがあります。こうした人物のことを「キーパーソン」と呼ぶことがあります。

一般に、費用を支払う人がキーパーソンであることが多く(もちろん費用を支払う住まい手本人がキーパーソンであることが一番多いでしょう)、この場合、キーパーソンが納得することで住まいづくりが進みますので、キーパーソンの理解を得ることが重要であることは言うまでもありません。

費用は同居の家族が担うが、プランニング上で特に配慮を要する住まい手(高齢者や障害者)がキーパーソンになるケースも多くあります。この場合は、キーパーソンである住まい手の要望等を、費用を担う家族に理解してもらうことが重要になります。

住まい手に対して発言力が強い、遠方に住む親族であるとか、別居している息子であるとか、あるいはその配偶者などがキーパーソンである場合もあります。また、家族以外でも、住まい手の生活や心身の状況をよく知るケアマネジャーや医療・福祉関係者などがキーパーソンとして重要な情報を与えてくれることもあります。

このように、ひと口に「キーパーソン」と言っても、良きにつけ悪しきにつけ、キーパーソンが存在する状況は実にさまざまです。キーパーソンは、住まい手本人から聞けないような事情を知っていることもありますので、誰がキーパーソンなのか(1人とも限りません)見極めることが求められます。そして、住まい手とキーパーソの関係性に留意しながら、キーパーソンの話ばかり聞いて住まい手の思いをないがしろにしてしまうことがないように注意することがきわめて重要です。

対話の心得・第7条【キーパーソンとの連携】(神奈川県W)

「くつろげる空間」とは?

前、看護師の知人が、高齢者の方は施設入所の引っ越し時などで大事な物を紛失すると、精神的なバランスを崩し、せん妄状態に陥ることが多い、と指摘されていました。

若い人が引っ越しで物を捨てるのは普通ですが、高齢者によってはなんとせん妄に陥る。この事実が意味するところは、高齢者がいかに私物を含む住環境に対して精神的に依存しているかということです。

上記を踏まえると、住環境整備で床段差や温熱環境を改善することは無論大事ですが、それ以上に、『住まい手が健全な精神状態を維持できること』が重要です。具体的には、財布の置き場所を変えない、亡くなったご主人の遺影の位置を変えない、などです。このように住まい手の精神面を重視することにより、「くつろげる空間」を維持できるのです。

対話の心得・第6条【「居場所」の確認】(神奈川県W)

将来を見据え「さりげなく提案する」

齢だが元気で健康な住まい手に対して、「数年後には車いす生活になっているかもしれません。そうなっても安心なように、住まいをバリアフリー化してしまいましょう」という提案をしたらどうなるでしょう。不快に思われる方が多いのではないでしょうか。「バカにするな!」と激怒されるかもしれません。実際、数年後に車いす生活になったり脳梗塞で片麻痺になったりということは、誰にでも起こりえることです。しかし、だからといってそうなると決めつけて、いま現在の住まいを徹底したバリアフリー仕様にするような提案をすることは、ライフスタイルなどが千差万別である住まい手の個別性をないがしろにする行為であり、拒絶されてしまっても当然といえます。

はじめは、バリアフリー設計の要である余裕のある間取りで設計しつつ、たとえば車いす生活になってもトイレが使えるよう、横の壁を抜いて引き戸にできる、あるいは玄関脇の壁を抜いて段差解消機を導入できるといった、いざという時には簡易な改修で色々な対応できるような設計を「さりげなく提案する」ことが、住まい手の現在と将来を考えた提案といえるでしょう。

車いすになってもトイレ・洗面所・浴室・脱衣所に移動でき、自然の風が通り抜ける空間。

対話の心得・第5条【個別性の理解】 / 元気に暮らす (神奈川県W)

建築士が用いる言葉の意味を住まい手が理解できているとは限らない

建築士は、建築の専門用語や業界用語を、住まい手に対しても使ってしまうことがあります。たとえば「納める」とか「ツラに合わす」など、建築士にとっては当然のように意味がわかっている言葉でも、一般の人にはよくわからないという場合があります。

住まい手にとって、全然知らない専門用語をあたりまえのように使われることはストレスにつながります。また、住まい手がなんとなく理解できているような用語でも、その理解と建築士が指している意味とでは違いが生じていて、後で問題になるケースもあります。こうしたことでは、住まい手の本音を引き出すことも難しくなるだけでなく(➡対話の心得:第2条)、クレームの種にさえなりかねません。意識してわかりにくい専門用語・業界用語を使わないようにしましょう。

また、説明の合間に「ここまではよろしいですか?」「何か気になることはありませんか?」といった問いかけをするなど、住まい手の理解の程度を確認しながら話を進める姿勢も大切です。

対話の心得・第3条【わかりやすい言葉づかい】(神奈川県W)

知識と経験と想像力と

住住まい手にとって、住まいづくりの希望をきちんと作り手(建築士)に伝えることはなかなか難しいことかもしれません。どこかの家を見ていいなと感じたり、住まいについて困っていたりすれば、それを作り手に伝えることはできます。しかし、将来の生活、心身、住まい、経済等については、住まい手が自ら考えていなければ伝えることはできません。

そこで作り手は、家族の人数や年齢、家庭経済なども考慮に入れながら、現在から将来にわたるステージを想像してもらい、今やっておいた方が良いことや、将来の適時に行いたいことなどの計画を立てることを住まい手に勧めます。その際、作り手は、実際の例を挙げながら、住まい手が将来にわたってより安心して生活ができるような提案をすることが望ましいでしょう。

もちろん、住まい手にどのような提案ができるかは、作り手の知識、経験、そしてそこから生まれる想像力などによって大きく異なります。作り手自身が、常に知識を蓄え、たくさんの経験を積み、豊かな想像力を備えた人間に成長をしていくことが求められます。

対話の心得・第2条【雰囲気づくり】(茨城県T)

「寝室の窓から道ゆく人を眺めていたい」

とり暮らしの女性(70代)を支える居心地の良い家の設計を頼まれたときのこと。
いろいろご希望を聞いている中で、「寝室の窓から道ゆく人を眺めていたい」という言葉を伺いました。北が道路。プランご提案の第一歩は北側に寝室を持ってくる案を考えました。

ある時は、車椅子の男性から「夜寝る時、左足が痛いのでベッドから足を下ろしたい」という要望からプランを考えたこともあります。 他の人にとってはなんでもないことかもしれないけど、ちょっとした言葉の中にぜひ実現したい希望が入っていることがよくあります。そこから設計を始めるという、そんな方法もあるのではないでしょうか?

対話の心得・第5条【個別性の理解】 / 新・バリアフリー15ヶ条 / 第8条【寝室】 / プランニング(神奈川県Y)